去年の8月、10周年記念祭以来でございます。
2010年も2月の半ばになろうとしておりますがデフレ、新型インフルエンザにもめげずドミトリー沖縄創業11年目に突入いたしました。どうぞ今年もよろしくお願い致します。(^^♪
沖縄県は目立った大型産業もなく3K収入で成り立っております。すなわち観光、公共事業、基地。ドミトリー沖縄は小さく可愛く観光産業の仲間です。
道路は掘ってホッテ、ほってこれでもか!と細くなったり、行き止まりになったり、出勤する道はドンドン遠回りになり職場はドンドン遠のいていきます。しかし我慢します。忍耐します。きっと素晴らしい道路になるでしょうから。
普天間基地はどこへ行くんでしょうか?県外、国外、地球外?
誰が指導者になっても答えの見えない難しい問題です。昔からそうでした。最後の団塊の世代である私たちがが生きてる間に解決できるでしょうか?生きていて結果も見たい気もしますがいくつになるかな?今年は平成元年生まれが20歳になりました。
今素敵な本をご紹介いたします。
これからシリーズで10行ほどずつ書いていきます。そうすれば
今後途切れることなくこのコーナーを書き続けることが出来ると思いますから。
ドミトリー沖縄
アジア日記 38歳 独身 無職
1 捨てて、捨てられてアジアへ
まだ一行も書いてないのに「作家になる」ことを諦めようかと思っていた。果して何百ページも原稿を書く事が出来るだろうか。自分にその才能はあるのか。何が目的なのか。いずれも曖昧だった。
当時の自分は失業保険で暮らす無職の38歳、彼女いない歴は悲惨すぎて誤魔化すくらい。貯金五十万円、未払い分の給料八十万円。住まいは沖縄の大学生も住まないトイレ・シャワー共同で、家賃1万6千円のおんぼろアパートO雲荘。いわゆる負け組みか。夢を探していたが見つからず、もうすぐ不惑の40歳を迎えようとしていた。 (続く)
*こんな感じで進めて行きたいと思います。
ご意見、ご希望がありましたらお気軽に予約メールからどうぞ。
|